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50年の軌跡(その2) 社運かけた豊間中学校

2014年7月9日


 この豊間中学校には山木工業の社運をかけたエピソードがある。同社は坪1万円で豊間町から工事を請け負った。朝鮮動乱のさ中で、上棟式をあげた直後に物価が急上昇し、よその業者が請け負った学校建築は坪2万円と倍額になった。今ならインフレ条項の適用でスライドを要求できるが、当時は久太郎社長の父季三郎が高久村の議長をしていたこともあって「スライドして欲しい」とは言えなかった。当然大変な赤字工事となり、苦労を強いられたがくどきもせずに工事を完成させた。やがて落成式を迎えた。志賀久太郎社長も式典に招かれ、感謝状を受けた。感謝状には金一封が添えられた。自宅に帰って開けてみると、何と100万円の目録があった。請け負った面積が約400坪、100万円は坪1万円とすると100坪分で2割5分増額してもらったことになる。忠実にやったことをみんなが理解していたのだ。

 こんなことがあって、山木工業の信用は絶大なものになった。当時の豊間町の町会議員はすべて山木工業の“営業”を手伝ってくれた。自分に支持者の住宅建築を紹介してくれるようになった。父季三郎の教えである「忠実」「誠実」が山木工業の信用を築いた。

 時が流れ、昭和56年、その豊間中学校が鉄筋の校舎に建て替えられることになり、やはり山木工業が受注した。解体されていく木造校舎を見つめていた志賀久太郎社長の目に光るものがあった。

2014年7月9日

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